2016/10/07

ミケネコのはじまり

こんばんは。ミケネコです。

今日は私がハンドメイド始めた時のことを書きます。

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何年前だか、当時私は専業主婦で、日々することといえば家事くらい。。。

いつものように旦那とよく行く雑貨屋さんへ。
そこには旦那のお気に入りのブランドのTシャツがいっぱいあって、店長と旦那も年が近くて仲良くなって、私も旦那にくっついてよくお邪魔してました。

ある日。ふと見ると、明らかに「手作り!!」って感じの雑貨が数点。

店長に、「これって、手作り・・・?」と聞いてみると、

「そうだよ~。ミケネコ(当時はミケネコじゃない)ちゃんも何か作ったら置いてあげるよ」と。

はい、ミケネコのはじまりです。

普通の作家さんと全然ちがうでしょ。

なんだけども、当時の私って、
「どこの誰かもわからない素人が作ったものなんて欲しがる人いるの?」
「売れる人って資格持ってたりとか、教室やってる先生とかでしょ?」
っていうカッチカチの昭和脳でしたw

ただ、作ること、描くことは小さいころから好きだった。
だから、ものは試しに委託をお願いすることに。。。

売れるか、続けられるかもわからない、そもそも販売できるレベルの品が作れるかもわからない、未知数すぎる自分、初期投資は1,000円でした(少;;)

和雑貨のお店だったので、当然置いてもらえるものは和物限定。
「お金もらうんだったらキチンとしたもの作る!!」と心に決めて、
悩んで悩んで作ったものがこちら↓↓↓


アジアンノットを編んで作ったピアス。

他にも七宝玉を使ったヘアゴムと、ちりめんのくるみボタンのヘアピンなど2.3点作ったかな。

今では和の要素など感じられない作風になっておりますがねw


小心者なので初回5つぐらいしか納品せず、、、
それがあっという間に売り切れて、
窓辺に置いてもらったらコレ↑につられてお客さん入ってきてくれたとか聞いて、

「え、わたし、もっと作ってもいいのかな…(゜∀゜*)ソワソワ」っていう、ね。

それからシュシュ作ったり、コサージュ作ったり、、その頃から「歯車パーツ欲しい!和×パンクやりたい!!」などと言っておりました。当時はスチームパンクブームなんてなく、本物の時計をバラすしかなかったんだけど、欲しい形と大きさが揃わずアイデアだけでお蔵入り。。。

嗚呼懐かしや。


で、自分に正直に作りたいもの作って、「和じゃないものはほかのところに出店しよう!」で、今に至るかんじです。

何ができるかわからなうちに始めたから、何ができるかいろいろやってみました。
粘土、布小物、カルトナージュ、羊毛フェルトで指を刺し、ハンコも彫った、キャンドルも作った、編み物だけはどうしてもダメだった。。。


できないものはやめた。


3年前、子供が生まれた。

それまでやっていたことが難しくなった。
でも、ものづくりをやめたくなかった。
なので、またできないものはやめて、別のできることを始めた。

わたしが無理をして得する人はいないから。

「作風変わったね」って言われることがあるのは、こんな経緯があるからです。

そして、最初からデジタル絵が描きたかった。でもスキルがなかった。ソフトもなかった。
でも、これだけはあきらめきれなかった。

2年前にグラフィックデザイナーになった。
仕事をしながらデジタル絵の勉強をした。

ライセンスフリーになったIllustratorCS2を自宅PCにダウンロードして使いにくさと戦ったw

そんなこんなで今日もミケネコは自分に合ったやり方でものづくりをしています。
まわり道してやっと落ち着ける場所を見つけた気分です。
今の環境がまた大きく変われば、きっとそれに合わせて変わりますけど未来はわからないので考えません。今はこれでいい。


長くなりましたが、最後まで読んでいただきましてありがとうございました。
次は屋号の由来に触れてみます。


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